X-RAY / STRIKE BACK 湯浅晋の天才的フレーズに酔うバンド最終作 

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x-ray strike back

年上彼女のお気に入りバンド「X-RAY」

1980年代のNWOBHMムーブメントは、極東に位置する日本にまで確実に伝播され、JAPANESE HEAVY METALとして多くのバンドがシーンに登場してきました。

当時の私の所属コピーバンドでは、主にIRON MAIDEN、SCORPIONS、OZZY OSBOURNE、MSGなどの海外メジャーバンドを中心にコピーしていました。

JAPANESE勢は特にLOUDNESSなどを必死に練習。

学校内の別のライバルバンドはひたすら 44MAGNUMだけをコピーしており、それはそれで結構格好良かったです。

レコード代、チケット代、楽器類、スタジオ代、パチンコ代(これは無関係)など、何かとお金を要する学生メタラー生活ですのでバイトは必須。

毎日学校帰りに東京駅八重洲口の目の前にあった某有名企業のビル清掃のバイトをしていました。

夕方5時半から一斉にビル内に散って掃除に取り掛かるわけですが、当然終業間もない時間なので社員さん達はまだ一杯残っています。

自然に顔見知りとなり、優しく声を掛けてくれる人もちらほらいました。

私はいつも黒のスリムジーンズにバンドTシャツというメタラー主張の激しい格好をしてましたので、メタルに関する話題を振ってくれる人もいたりして。

そんな中で、バイト仲間内の人気でも1、2を争ういかしたお姉さんから、いきなりこっそり手紙をもらった時はビックリしましたね~。

まさかあの素敵なお姉さんがメタル好きだったとは…天にも昇る気分、お花畑状態の有頂天とはこのこと。

てな感じで突如始まった年上の社会人お姉さんとのメタル交際…。

だらだらと書いてしまいましたがのろけ話はこの位にして、要するにその彼女はJAPANESE HEAVY METALが大好きで、特にお気に入りが「X-RAY」だったのでした…。

 

X-RAY初体験の本作で湯浅晋のギターフレーズに泣いた

彼女にすすめられて初めて聴いたX-RAYのアルバムが本作「STRIKE BACK」。

1985年リリースのバンド最後の作品となる4枚目のアルバムです。

X-RAYは1981年にヴォーカルの藤本朗とギターの湯浅晋が中心となって結成。

 ・1983年にデビューアルバム「魔天〜Hard Section
 ・1984年に2nd「伝統破壊-Tradition Breaker」
 ・1984年に3rd「Shout !」
 ・1985年に4th「Strike Back」

驚異の半年スパンで順調にリリースを重ねてきましたが、マネジメント側との方向性に狂いが生じ始めて(ありがちなパターン)1986年に惜しくも解散しています。

当時私は、バンド名くらいは知っていたものの、全く何の予備知識も持たずに初体験した本作。

第一印象は「ドラムの音が酷すぎる…」でした。
(いきなりのこき下ろしでごめんなさい。)

特にバスドラの音が壊滅的に酷かったですね~。

もう、トタン板をぶっ叩いているかのように、ダン、ダン、やたらにうるさくて。
(当然、そんなことは一言も彼女には言えませんでしたが…。)

そこは何とか耳をふさいで気にしないこととして、楽曲は?といえば、これはもうメロディアス・ハードPOPって感じで聴き易かったです。

歌詞が少々こっ恥ずかしい感じもありましたが、何より魅了されたのが湯浅晋によるギターフレーズ。
(テクニックは勿論ですが琴線に触れるフレーズがたまりましぇん)。

デビュー当時はまだ17歳、本作リリース時でも20歳弱と、あまり自分と年齢差のないことを後から彼女に教えられビックリしましたが、恐るべき才能、天才的、神がかってますよね。

これまた後で知ったのですが、自身のバンドデビュー前にも浜田麻里のデビューアルバムに参加しているなど、もう10代にして既に業界で知れ渡る才能溢れたギタリストだったということですね。

個人的独断と偏見で選ぶ「歴代曲ギターソロ30選」には、湯浅晋がプレイした楽曲が数曲ランクインしてくると断言します。

という訳で本作は、彼女と出会わなければ恐らく一生聴く機会はなかったと思われる、特に思い入れの深い「運命のアルバム」だったのでしたー。

 

スコアチャート

x-ray-4th-scoring

 

 

 

 

 

 

 

メンバー・収録曲

メンバー

  • ヴォーカル: 藤本朗
  • ギター  : 湯浅晋
  • ベース  : 臼井孝文
  • ドラムス : 高橋和久
  • キーボード: 藤山高浩

 

収録曲

  1. Don’t Lie, Don’t Touch – 4:56
  2. Rock Tonight – 3:41
  3. Burnin’ Like the Fire – 3:02
  4. Take A Chance – 4:00
  5. Man In Black – 4:02
  6. Lier In Your Eyes – 4:10
  7. Ammy – 1:06
  8. In A Warnin’ – 4:02
  9. I Don’t Worry It – 3:19
  10. You Got The World – 5:36
 

おすすめ楽曲

Don’t Lie, Don’t Touch

穢れを知らないストリングスの音色とキーボードの効果音が、期待感をこれでもかと煽ってくるイントロ。

ヴォーカルは当時のJAPANESE HEAVY METALバンドにありがちな声質、歌い回しでやや粘着質ではあるものの発音はしっかりしていて、しっかりと「わかる日本語」で一安心。

重さはないもののしっかりとしたカッティングで刻まれるリフやバッキングには、終始フランジングを強めに効かせながらドライブ感を出していますね。

んっー、んーって教科書通りのアーミングが好きなようで、他の曲でも多用しています。

哀愁感たっぷりのサビメロに続き、勿体付けることなくギターソロに突入。

何気ない速弾きも披露するなど、緩急織り交ぜながら構成されたまさに至福の時間の到来です。

オープニング曲にしてこのギターソロであっけなく涙腺は崩壊、号泣しながらのヘッドバンキングの嵐でしたね。

凄い、素晴らしい、great!、ワンダフォーとしか言いようがありません。

湯浅晋、最高!

ラストも寂しげなオルゴールのSE音で終るなど、憎い演出もいかしてますよねー。

 

Burnin’ Like The Fire

グルーブ感のあるミドルテンポの2曲目を挟んでの3曲目の疾走曲。

後にライヴ音源(?)のロングヴァージョンもリリースされていましたが、バンドを代表する楽曲の一つ。

ドラムのどったん、ばったんは気にしないこととして、ノリと勢いだけで全部を持っていく感じの曲作りは、これまた当時のJAPANESE HEAVY METALバンドの常套手段でしたね。

歌詞とかももはや単語の羅列でしかなく、冷静に考えれば「Burnin’ Like the Fire」って当たり前だろ!って突っ込まれそうです。

この曲での湯浅晋のギターソロはテク重視の構成で、トリッキーな速弾きをこれでもかと見せつけています。

 

Lier In Your Eyes

LP盤で言うところのB面1曲目。

A面1曲目で体験した衝撃の再来なるか?と期待をせざるを得ないドラマティックなイントロです。

そして思いがけずの落雷のように刻まれるギターのカッティング音。

ここまで聴き及んでくると、フランジングが聴いたギターのトーンとドタバタのドラム音が、むしろ意図的にに調和されているかのように錯覚し快感になってしまっている自分がいました…。

まさに哀愁のハードロックという以外に形容詞が見当たらないメロディラインが、ヴァースで更に盛り上げられながらコーラスと共に究極に美しくも切ないサビメロへと展開。

こりゃぁ、お姉さんもイチコロな筈ですわなっ、ふむふむ、と納得の白旗を掲げましたねー。

そしてお待ちかねのギターソロ。

オープニング曲に比べれば短めながらも、若干20歳の若者が組み立てたものとは思えない程の楽曲との調和振り。

もはや指癖のように披露される、ミュートを効かせて中低音域からムクムクと上がってくる速弾きが病みつきになりそうな心地よさです。

 

In A Warnin’

Randy Rhoadsを意識したものかは不明ですが、約1分程度のギターインスト曲の後に始まる個人的に好きな楽曲。

本作の中では最も「渋い」ミドルテンポのシンプルなリフに対して、意図的にリズムをずらして入ってくるドラム。

単純な仕掛けながら、まんまと予定調和を崩され思わず楽曲に引き込まれてしまいます。

そして、待望のギターソロが始まると明らかに感じる「高揚感を伴う疾走感」。

その手前のチョッとした変調による曲展開が、思いっきり効いてますよねー。

マイケル・シェンカー辺りも思わせるソロフレーズが最高にきまっています。

 

まとめ

80年代のJAPANESE HEAVY METALムーブメントに湧きがったシーンに、X-RAYが最後の作品として遺した本作。

今回改めて聴いてみると、それは良い意味で「JAPANESE HARD POP」と明確にカテゴリーできるオリジナリティに溢れていました。

一貫して男女の愛憎を歌う歌詞。

ヘヴィさや疾走感は追い求めずに哀愁メロディアス&キャッチーさに拘る楽曲。

女性ファンをターゲットとしたバンドであるというコンセプトを忠実に本作でも守っていた感じですね。

才能豊かな湯浅晋が、その音楽的方向性をどこまで腹にはめて創作活動やプレイをしていたかは不明ですが…。

若くして伝説のギターヒーローとなっても全くおかしくない程の能力を持ちながら、当時のシーンでは今一つ脚光を浴びなかった湯浅晋。

その要因は「男性のファン」がそのギタープレイに出会う機会があまりに少なかったからなのでは?。

そんな気がしてなりません…。

バンドの解散後に湯浅晋は渡米し、OZZY OSBOURNEの JAKE.E.LEE の後任オーディションを受けていたというのは有名な話ですね。

もしも、JAPANESE HEAVY METALバンドのもう少しヘヴィな音楽性のバンドで活動していたら、ワンチャン合格もあったかも知れません…。

って勝手に妄想して楽しんでます。

 

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