Rainbow / Difficult to cure どんなアルバム?
神格化されたバンドが再び下界へと歩み降りて来てくれた作品
1981年発売のレインボー5作目のアルバム。(邦題:治療不可)
本作は、銀嶺の覇者、バビロンの城門といった崇高なハードロック様式美を具現化した傑作を立て続けに輩出し、ある種神格化されようともしていたレインボーが、再び下界へと歩み降りて来てくれた。
そんな何とも嬉しい感覚を味わえたアルバムでした。
親しみやすくハードロックの素晴らしさを体感できる楽曲自体もさることながら、やはり新ヴォーカルとしてセンセーショナルな登場を果たしたジョー・リン・ターナーの功績があまりにも大きいと言えると思います。
前作に続いて楽曲重視(乱暴に一言で片づけてしまえばポップ化)の方向性に大きく舵を取った本作において、新加入ヴォーカル ジョー・リン・ターナーはドンピシャのはまり役と言えるでしょう。
伸びやかかな高音と端整な甘いマスクの新ヴォーカル
ドラムス コージー・パウエルに続き、ヴォーカル グラハム・ボネットというビッグネームが相次いで脱退し、苦境に立たされた中で収録が進められた本作。
その過程でバンドはジョー・リン・ターナーというダイヤモンドの原石のようなヴォーカルを迎え入れることに成功します。
リズム&ブルース、ジャズ、カントリーなど様々な要素をミックスしたバンド「ファンダンゴ」のヴォーカルだったジョー・リン・ターナーに可能性を見出したリッチー・ブラックモアの誘いによりレインボーへの加入が決定。
横山やすし、いやグラハム・ボネットではどうしても表現しきれなかったキャッチーさ、高音域の伸びも申し分なく見事なボーカルを聴かせてくれます。
まさにアメリカ市場へと打って出る戦闘態勢が整ったと言えるでしょう。
ギターヒーローが見出した新たなる境地
ディープ・パープルでその伝説的なギタープレイをロック界に強烈に刻み込んだリッチー・ブラックモア。
1970年代から1980年代にかけてギターを志す「ギター小僧」がほぼ100%の確率でコピーしたと思われるリッチー・ブラックモアの楽曲。
ディープ・パープルからレインボーへとそのプレイ舞台を移しながら、伝説の名曲を輩出し続けてきました。
本作では、もはやロック・ギタリストの象徴的存在になりつつあったギターヒーローが見出した新たなる境地とも思える、新鮮な感覚を味わうことができます。
前作に続き本作でもキャッチーな音楽性へのアプローチを試みたリッチー・ブラックモア。
本作は、自身をより高所な目線に上げアメリカ市場を俯瞰したかのような楽曲作りを意識したように思えてなりません。
これ見よがしにギターテクニックを披露し、正統派、様式美を追求した荘厳な楽曲を輩出し続けた後に、リッチー・ブラックモアの視界に見えてきた光景は、ハードロック全体のファン層の裾野の拡がり、ハードロックの持つ可能性やインパクトをより多くのファンに知ってもらうという野望だったのかも知れませんね。
ハードロックの更なる息吹き、発展性、革新性を見いだす新たな挑戦に、自ら先頭に立って具現化してくれたリッチー・ブラックモアに改めて驚嘆します。
バンドメンバー・収録曲
【メンバー】
- ヴォーカル: ジョー リン ターナー
- ギター : リッチー ブラックモア
- ベース : ロジャー グローバー
- ドラム : ボビー ロンディネリ
- キーボード:ドン エイリー
【収録曲】
- I Surrender – 4:10
- Spotlight Kid – 5:10
- No Release – 5:42
- Magic – 4:15
- Vielleicht Das Nachster Mal – 3:23
- Can’t Happen Here – 5:09
- Freedom Fighter – 4:28
- Midtown Tunnel Vision – 4:44
- Difficult To Cure – 5:58
おすすめの楽曲レビュー
I Surrender
意気揚々とLP盤レコードを大事に抱えながら帰宅して、あらためてまじまじとジャケットを見てみると、そのデザインは「目の部分しか見えない不気味な7人の手術医」。
とりあえずバンドのメンバーが扮しているものではないな?などと考えながらレコードに針を落とす。
そしてオープニングがこの楽曲。
完全にぶっ飛びました。
第一声の「I Surrender」で全ては決まってしまいました。
これは本当にリッチー・ブラックモア率いるレインボーの新譜なのか?。
まるで「明るいフォリナー」ではないか。
しかも曲が良い、良すぎる。
一度聴いただけで恐らく生涯忘れることはないであろうサビメロ、どこまでも果てしなく伸びていくジョー・リン・ターナーの高音域、そして更にそれに輪をかけて厚みをもたらすバックボーカル。
まるでジョー・リン・ターナーというソロアーティストの楽曲であるかの如く、ボーカルが圧倒的な存在感を誇示しているではないか…。
よくぞここまでリッチー・ブラックモアが自我を制御できたものだと感心してしまう。
そして同時に、シングルヒット間違いなしの大勝利を確信した瞬間でした。
Magic
アルバム4曲目にして、またしても大ヒット当確の楽曲が登場します。
個人的には前作のシンス・ユー・ビーン・ゴーンを軽く凌駕するヒット性を感じます。
清々しい、さわやか、とにかく聴いていて心地良くなります。
かつてのディープ・パープルや、銀嶺の覇者に代表される頃のレインボーの楽曲は、一緒に歌う、軽い気持ちで聴くといった本来の音楽を「楽しむ」という要素よりも、リッチーをはじめとした各プレイヤーのプレイを眉間に皺寄せながら固唾をのんで聴き入るといった姿勢で聴いていたことに今更ながら気づかされます。
そう、楽曲を聴くことで無意識に非日常の世界に入り込むことを望んでいたように思うのです。
しかし、本作は明らかに違います。
日常性、親和性に富んだ良質な楽曲を、少しボリュームを上げて聴きながら一緒に歌って楽しむことが出来ます。
それがリッチー・ブラックモアの狙いだったのだとしたら、完璧にその狙いは達成されていると言えるでしょう。
Difficult To Cure
アルバムのラストを飾るのは、言わずと知れたベートーヴェンの第9 歓喜の歌のアレンジ。
このインスト曲では、ここまでの鬱憤を晴らすかのようにリッチーやドン・エイリーのプレイが凝縮されています。
誰もが知るメジャーなクラシックの定番をアレンジしながら、題名に邦題「治療不可」と名付けたリッチーの真意は不明ですが、根底には必ずや「新しさ」に果敢に踏み出そうとする何らかの意図、決意のようなものを感じます。
因みに、本曲を含めた1980年代の胸熱「インスト曲」をピックアップした特集記事をご参考までに。

まとめ
HR/HMバンドの新譜発表の際に、必ず取沙汰されるのが「メンバー交代による音楽性の変化への賛否」と「ヘビー化またはポップ化に対する賛否」の議論です。
過去の作品に対してリスナーが抱いた印象、イメージが基準となって無意識に物差しとなり、新譜における変化の乖離幅を測る尺度とされてしまいます。
本作に対しても「軽くなった」「売れ線ねらい」「レインボーらしくない」「リッチーのギターが物足りない」などの評価を下すリスナーが少なからずいた筈です。
しかし、進化し続けなければやがて滅んでしまうのが生物の宿命であるように、変わらなくてもそれはマンネリ化を生み、やがて飽きられ衰退していってしまいます。
吉凶はどうなろうとも、リッチーは間違いなく本作で「変わること」を選択したのであり、その成否は新加入ヴォーカルの ジョー・リン・ターナーという当たりクジを引き当てたことにより、成功確率をこれ以上なく高めたと思います。
何よりも本作の素晴らしい楽曲群が如実に証明していますね。
