Ozzy Osbourne / Diary of a Madman レビュー
ランディ・ローズの貴重な遺作
OZZY OSBOURNEの「Diary of a Madman」は、1981年リリースの2ndアルバム。
本作を発表後のツアー途中、バンドとしてもランディ・ローズのキャリアとしてもまさにこれからという絶頂期を目前にして、1982年3月19日ランディ・ローズが飛行機事故でこの世を去ってしまいます。
デビュー作の「Blizzard of Ozz(邦題:血塗られた英雄伝説)」と本作のたった2枚のアルバムのみが、ランディ・ローズがOZZY OSBOURNEで遺してくれた貴重な作品となってしまいました。
極たま~にですが、「若くして不慮の事故で亡くなったから美化されて過大評価されている」などとのたまうおおたわけ者がいますが、も~っ、トイレのスリッパ(緑色)で思いっきり頭引っ叩きたくなりますね!。
そのような輩は完全無視しますっ!(何をそんなに興奮しているのだ…)
クラシックギターへの思いを胸中に秘めながらも、OZZYの求める世界観の表現に徹して見事に具現化した(いや、要求以上のものを作り上げてしまった?)才能はまさに天賦のものと言えるでしょう。
デビュー作同様に、ランディの奏でるギターは強烈な特異性をもったリフは勿論のこと、アルバムタイトル曲に代表されるようなあまりに美し過ぎるアルペジオとオブリガートのまさに絨毯爆撃。
聴く者の琴線をこれでもかと攻撃してきます。
ランディの遺してくれた貴重な2枚のアルバム。
個人的な好みで言えば、キャッチーな楽曲の多いデビュー作に軍配を上げたいところですが、OZZY OSBOURNEというバンドとしての世界観の表現力という視点では本作の方が格段に上をいってますね。
アルバムジャケットのグロさ加減もその辺りを如実に表わしているように思います。
それから、本作を語る上で忘れてはならないのが、ボブ・ディズリーとリー・カースレイクのリズム隊。
レコーディング終了後にこの2人はバンドを去ってしまいますが、ドン・エイリーによる直接的な演出アプローチに加え、この2人の間接的なリズムでの演出無くしてここまでの悪魔的な雰囲気は出なかったのではと思えるおどろおどろしいプレイです。
ランディ・ローズを偲ぶドキュメンタリー映画について
この記事を執筆中の2022年12月は期しくもランディ・ローズの没後40年を偲んだドキュメンタリー映画の上映中。
本来であれば一目散で映画館に行って鑑賞したいところでしたが、公開前に「この映画はローズ家(遺族)からは一切公認されていない」とのチャチャが入って曰く付きとなり、鑑賞を躊躇せざるを得ない状況となってしまいました。
ローズ家(お姉さんのキャシー)曰く、映画の内容、関連で販売されるグッズ等について一切の承諾をしていないとのことで、制作サイドの金儲けに加担する気にもなれず個人的にはこの映画は見ないことに決めました。
(目新しい映像や音源なんかもこれ以上は出てこないでしょうからね…)
その分、今回レビューするにあたりアルバムを改めてむせび泣きながら聴くことといたします。
メンバー・収録曲
バンドメンバー
- ヴォーカル: オジー・オズボーン
- ギター : ランディ・ローズ
- ベース : ボブ・ディズリー
- ドラムス : リー・カースレイク
- キーボード: ドン・エイリー
収録曲
- Over the Mountain – 4:31
- Flying High Again – 4:44
- You Can’t Kill Rock and Roll – 6:59
- Believer – 5:16
- Little Dolls – 5:39
- Tonight – 5:50
- S.A.T.O – 4:07
- Diary of a Madman – 6:14
おすすめ楽曲
Over the Mountain
オープニングから本作への意気込みを最大限にアピールするかのような不愛想でダークなリフが鋭く刻まれます。
まるで出刃包丁、いや鋭く研ぎ澄まされた刃をもつ鉈(なた)といった切れ味でしょうか。
優しく穏やかな天使のようなルックスで、悪魔のようなリフを冷酷に刻むランディ。
あまりのギャップの大きさにおののいてしまいますが、時折差し込まれる流麗なオブリガードが天使の側面をのぞかせますね。
この意表をつくギャップの連続が、聴く者を容赦なく楽曲の世界観に引きずり込んでいきます。
そして出ました!まるで昭和の銭湯で弾いているかのようなエコーサウンドのギターソロ!
コンパクトで印象的なアルペジオフレーズを連発させながら、あくまで出しゃばらずに楽曲の一部として機能させている奥ゆかしさが素敵です。
正直、もっと聴きたいなぁ~と思わせる物足りなさも抱きますが、何事も腹八分目程度が最大の幸福感を得られる丁度良さと言ったところでしょうか。
リー・カースレイクのドラムもオープニングから全開ですね!
まるで座布団を思い切り引っ叩くようなスネア、お祭り騒ぎのようにド派手に鳴らしまくるシンバルは、まるで悪霊に憑りつかれたかのような狂気のドラミング。
そこら中に悪霊の邪気をまき散らしながら、聴く者の思考をOZZY沼奥深くへと没入させていきます。
Flying High Again
続く2曲目はライブでは欠かせないシングル曲。
スタジオ版では法定速度を遵守した安全運転ながら、相性抜群のリズム隊の2人がドライブ感を失うことなくグイグイ推進力を上げていってます。
そして単純におどろおどろしいだけの世界観で終始せずに、楽曲にキャッチーさを見出してくれるのがランディの最大の魅力であり芸術の域の離れ技。
何だか気怠そうに適当に歌っているようなOZZYの歌唱も、キャッチーに振り過ぎないことを考慮した計算されたテクニックだったのかと思わず深読みしてしまいそうです(多分根っからの適当男…)。
そしてこの曲で炸裂するのがランディ屈指とも言えるギターソロ!
満を持したように見事な構築美で完璧に仕上げられたソロはまさに非の打ちどころがありませんね。
後にジェイク・E・リーをもってしても「このギターソロはアレンジの仕様がない」と言わしめたほどの完璧さです。
S.A.T.O
本作のレビューで悩ましいのがおすすめ曲の選曲です。
アルバム中盤に「Believer」のようなムード満載のコアな楽曲もありますが、ここは断腸の思いでメロハー好きの嗜好を優先させて頂き終盤の2曲をピックアップ。
先ずは7曲目の「S.A.T.O.」。
王道のリフによるオーソドックスなメタル楽曲と思いきや、さすがはランディ。
サビやソロでの転調など、ことごとく聴き手の予定調和を切り崩してくる特異なメロディ展開が中毒性を持っています。
そして輪をかけるようにメロディを外し気味に傍若無人にガニ股で突進していくかのようなOZZYのヴォーカル。
まさに天使と悪魔がニヤニヤして肩を組みながら聴く者の琴線を土足でずかずかと踏みにじっていくかのような強烈なインパクト。
それはまるで、丸い大皿に美しく盛り付けられた「ふぐ刺し」を無造作に箸でザーッと取ってむしゃむしゃ食べているかのようです。(いやいや、単純に食べたくなっただけですが…)
とにかく、一度耳にしたら一生忘れられなくなるような麻薬のような楽曲ですね。
Diary of a Madman
アルバムラストに収録のタイトル曲。
文字通りランディの冥途の土産となってしまった壮絶な楽曲ですね。
デビュー作に収録の名曲「Mr.Crowley」を、よりダークにより不気味にしたかのような究極の世界観。
OZZYのヴォーカルに潜んでいる本能的な凄みや狂気さ、そして叙情性を最大限に顕在化させることに成功したランディの作曲能力がお見事!
Black Sabbath をも凌駕してしまう不気味さと悲しさ、そして美しさまでを兼ね備えた本作の最高楽曲は、これぞまさしくOZZY OSBOURNEの象徴的楽曲、神曲ですね。
ランディ亡き後のOZZY OSBOURNEの名盤作品においても、本曲を超えるような世界観を持った楽曲だけは産み出せていないと思います。
ランディを含むこの面子でしか成し得なかった妖艶な怪し過ぎる様式美、スリリングな劇場型の展開やコーラスが狂気を持った美しさを放っています。
まとめ
衝撃のデビュー作に続き、間髪入れずの翌年1981年にリリースされたOZZY OSBOURNEの2ndアルバム「Diary of a Madman」。
僅か2枚のアルバムのみを遺してこの世を去ったランディ・ローズの文字通り遺作となってしまった本作は、OZZYの追求する世界観をランディがその天賦の才能で見事に具現化した驚異的な傑作ですね。
ラストのタイトル楽曲をはじめとする狂気と哀しみを内包しながらダークな美しさを聴かせる本作。
恐らくOZZYにとっても期待を上回る出来映えだったでしょうし、OZZYのヴォーカルが持つ潜在的な魅力を引き出す楽曲作りを、見事にランディがやってのけた作品だと思います。
後のヘヴィメタルシーンにおける空虚な速弾き選手権状態、テクニック至上主義とは対極に位置する、ランディ・ローズというギタリストの才能、その表現力の偉大さを改めて認識させられる名盤です。